2009年07月05日

中禅寺湖の歴史

発見されたのは天応-てんおう-2(782)年。
日光開山の祖、勝道上人-しょうどうしょうにん-が男体山の登頂に成功したとき、山の上から湖の存在を見つけた。2年後には勝道上人一行が、湖畔に堂を造り神宮寺-じんぐうじ-が建立-こんりゅう-された。以来、山岳信仰の修験者たちが訪れ、船禅頂-ふなぜんじょう-(湖に船を浮かべて読誦-どしょう-し湖畔-こはん-の社堂を巡る)もおこなわれるようになった。そして中世から近世にかけては修験道が隆盛し、男体禅頂-なんたいぜんじょう-も盛んに繰り返された。

 しかし豊臣秀吉の日光山領没収によって、日光は一時衰微する。再び活性化されるのは、天海大僧正-てんかいだいそうじょう-の来晃-らいこう-(晃=日光の略)と東照宮造替の後だ。寛保-かんぽう-元(1741)年に行人-ぎょうにん-(禅頂をする人)利用のための茶屋の営業が許可され、文化元(1804)年には湖畔に六軒茶屋ができた。ただし、このころは人が住んでいたのは春から秋まで、冬には下山していた。

大きな変革が訪れるのは、明治5(1872)年に女人牛馬禁制-にょにんぎゅうばきんせい-が解かれてからである。さっそく女性が、中禅寺湖畔や男体山へと登った。明治に入るまで女性がいなかったため、中禅寺で出産が初めて記録されているのは、じつに明治17(1884)年だった。この間、明治9(1876)年に明治天皇が来晃され、中禅寺湖を“幸の湖-さちのうみ-”と名づけている。続きを読む
posted by れきひと at 21:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

将軍に何かと縁のある箱根温泉

箱根温泉が知られるようになったのは、豊臣秀吉の小田原征伐がきっかけである。広大な小田原城を攻めるため全国の武士を集め長期滞陣したが、その無聊を慰めるため温泉に入ったといわれている。



江戸時代は五街道の一つ東海道に沿った温泉として繁栄、「箱根七湯」として知られた。この頃の箱根七湯は、湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯。

足
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posted by れきひと at 23:33| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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